流されず耐えたWPC住宅

「5mの津波に負けなかった家」リフォーム、そして新たな生活へ
東日本大震災の爪痕は今なお深く残っている。
津波が襲い多くの尊い命を失った宮城県仙台市。死者は704人、行方不明者は51人を数える。仙台市の中でも最も大きな被害があったのが若林区荒浜新。海岸沿いに広がったこの町は、浜辺と防風林を抜けると街並みが広がっていた。巨大津波は容赦なく押し寄せ、街は壊滅的な状況に陥った。見渡す限りの瓦礫の山・・・ほとんどの家が流される中、コンクリートパネル造(以下WPC)の佐藤喜美夫さん(現在55歳)の家は、車や流された家々がぶつかった影響で近づけば外壁に多少の損傷は見られるものの、無傷に近い状態で残っていた。海岸から約700m。佐藤さんはこの地で津波に耐えた家をリフォームし、再出発をする。

当時の状況を佐藤さんに聞いた。

海岸から佐藤さんのお宅の間にあった家々はほとんどが流された。 ▲海岸から佐藤さんのお宅の間にあった家々はほとんどが流された。
インタビューを受ける佐藤喜美夫さん ▲インタビューを受ける佐藤喜美夫さん

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▲宮城県仙台市若林区荒浜新2丁目2-17近辺 [大きな地図で見る]

被災前の航空写真▲被災前の航空写真
被災後の航空写真▲被災後の航空写真
被災前の航空写真▲被災前の航空写真
被災後の航空写真▲被災後の航空写真
被災直後の佐藤さまのWPC住宅被災直後の佐藤さまのWPC住宅
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防風林の松がそのまま家の中に約30本
震災発生時は職場にいました。仙台市内のタクシー会社で配車などをしていますので、そこで大きな揺れを感じました。震災直後は信号も不通でしたし、規制線が張られていたので自宅に帰ることはできませんでしたが、まさか巨大津波が襲って来ているなんて、思ってもいませんでした。もともと地元の人間は、津波なんて来るわけないと思っているから・・・。予想外というより、我が家を津波が襲うなんて想像もしていませんでした。 自宅に帰ったのは翌日です。警察の方から12日に荒浜に入ってくれということで入りましたが、随分遺体も見ました。私は戦争の経験もありませんが、これが、この世か?って感じですよ。今はこの地区もようやく整然として来ていますが、当時は凄かったですよ。この家の周りも車が3台重なってこの家にぶつかって止まっていましたね。津波は5mくらいでしょうか。2階の部屋に入って胸高位ですから、5mはあったでしょうね。家の中は海岸線にあった防風林が根っこごと30本近く・・・1階には27〜28本だったかな、窓から家の中に入ってきてました。2階は15本くらいかな。自衛隊の方がチェーンソーで切って出してくれました。さらに冷蔵庫や洗濯機が突っ込まれているって感じでぐちゃぐちゃでした。でも損傷した部分は直さず、そのまま残そうかと・・・。
多くの住宅や防風林がぶつかったにも関わらず、わずかな外傷ですんでいる ▲多くの住宅や防風林がぶつかったにも関わらず、わずかな外傷ですんでいる
「この高さまで」と2階ベランダで津波の高さを示す佐藤さん ▲「この高さまで」と2階ベランダで津波の高さを示す佐藤さん

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裏の木造住宅も流されず、屋根からヘリで救助
この家を建てたのは昭和63年のことです。宮城県は大きな地震が過去に何度も来ていますから、「地震に強い」ということでWPC住宅を建てました。津波は一切考えていませんでした。
ところが今回の津波で流され周りも何もなくなってしまったんですが、西側のお宅のお父さんが、木造だけど私の家が防波堤になったのか流されなくて、屋根まで上って逃げたそうなんです。その後ヘリで救出されたようで、「佐藤さんの家があったから、木造だけど津波で流されなかった。この家がなかったら、一気に持って行かれた。本当に有難う。おかげで命が助かりました」と感謝されました。
佐藤さん宅が流されなかったことで、流されなかった木造住宅。住人はこの屋上に上り救出された。 佐藤さん宅が流されなかったことで、流されなかった木造住宅。住人はこの屋上に上り救出された。
▲佐藤さん宅が流されなかったことで、流されなかった木造住宅。住人はこの屋上に上り救出された。


この周りはほとんどが流されていますから、1軒だけで「怖くないですか?」と聞かれますけど、不思議と怖さはないですね。この地域は災害地域ですから、新築・増改築は認められない、と。リフォームだけは良いということで、確認してリフォームを始めました。 リフォームの状況は、外観はそれほど痛んでもないんですが、家の中は防風林が突っ込んで来たり、冷蔵庫や洗濯機が飛び込んで来ていましたから、中はひどいもので、壁紙だけでなく床も張り替えましたね。でも予算もありますから使えるものは使ってって感じで、戸も以前のものです。
ベランダ越しに海岸側を望むと何もなくなっていることがわかるベランダ越しに海岸側を望むと何もなくなっていることがわかる


1階は姉が喫茶店をします。地元に来ても、洗面所もない、何もない状態ですから、地元の人が来てくれたら、無料にして・・・コーヒー飲みながらゆっくりしていってくれたらということで、喫茶店を始めます。ですから、2階に炊事場を持ってきました。
床は張り替えられ、綺麗になった。炊事は2階にある 壁と床は張り替えられ、綺麗になった。
炊事場は2階にある


国からの補助は、リフォームに関しては100万円まで、新築の場合は200万円までです。ですから、今、いろいろと揉めてるんです。周りはほとんど流されましたから、移転だと今までの土地を県が平米23,000円で買ってくれるんですが、移転先だとその3倍も土地の値段がします。ですから、土地は買えたとしても上(住宅)までお金が回らないんですよ。以前は35,000円くらいしていたんですが、今は23,000円でしか買ってくれない。なかなか新しい家は買えないですよ。 私のところだけがリフォームをして住むという感じですので、電気や水道も私のところのために引いてくれたようなものです。周りは・・・皆さん住まれるのかどうか・・・。
電気工事を同時進行で行っていた電気工事を同時進行で行っていた


8か月間仮設住宅にいますが、やっぱり小さくてもいいですから我が家がいいですよ。小さくてもいいから、我が家が欲しい。今月17日に役所のチェックがあり、そのあとようやく住めますから、本当に楽しみです。

荒浜新地区で佐藤さん以外にリフォームをしている住宅は見当たらなかった。ぽつんと1軒だけ、佐藤さんは再生した住宅での生活が始まる。
この住宅を建てた建設会社でリフォームの見積もりをしたところ、1500万円近く、「桁が違う」と地元業者でリフォームを行っていた。

このWPC住宅は阪神淡路大震災でも窓ガラス1枚割れず、その後の巨大地震や台風等でも「無傷」の実績を持ち、私が日頃から提唱する「住宅を襲うあらゆる災害に完全勝利」を唯一実証している住宅である。今回の東日本大震災でも「地震に強い」と謳っていた大手住宅メーカーの住宅が大半、津波によって流された中、このWPC住宅の多くは流されず、その地に残っていた。「残っていた」にもレベルがあるが、あの巨大津波が直撃しながらも、リフォームをして住むことができる、というのは信じられない強度だ!

佐藤さんのお宅では「猫を4匹」飼っていたという。その4匹とも2階の押入れの上に避難し、助かっていたのである。このWPC住宅だからこそ、守れた命であると思う。

住宅は本来、家族の命を守り、安心して何十年も住めるものでなければいけないと思う。大手住宅メーカーで「津波対策」を行っているところはなかった。「津波に流されない」ことも住宅の役割の一つと思うが、どうだろうか。
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