災害現地調査報告

ネパール大地震[災害現地調査報告]

現地調査
2015年6月7日〜6月13日 首都カトマンズ周辺及びチョウタラ周辺  
調査隊メンバー 児玉 猛治
        八谷 史江(25年前からネパールに通い、渡航歴20回以上。
              ネワール族の言語を守るための学校設立に20年前に参画し、感謝されている)
地震発生
現地時間2015年4月25日午前11時56分、首都カトマンズの北西77km付近、ガンダキ県ゴルカ郡サウラバニの深さ15kmを震源とした地震でマグニチュードは7.8と推定される。さらに5月12日12時51分に震源域東端付近でマグニチュード7.3の余震が発生。被害を拡大させた。 筑波大准教授八木勇治の解析では、震源の断層はカトマンズを含む周辺一帯東西150km、南北120kmに及び、4.1m以上ずれた地域もある可能性があることが判明した。これは同じ都市直下型地震である兵庫県南部地震の約30倍に及ぶ。地震のエネルギーは、約1分かけて東南東方向へ伝播し断層を南へとずらせた。
地震発生 地震発生

地震の空白域で発生か

今回の地震はユーラシアプレートに向かって沈み込むインドプレートとの間で発生した。
インドプレートが北上し衝突している境界付近では、ヒマラヤ山脈が隆起して形成されているように、過去にも巨大地震があり、甚大な被害が出ている。
-最大の地震は1833年と1934年のM8.0レベル
-最近では、2005年10月8日にM7.6の地震で大震災(ネパール周辺)
プレート境界添いには、1800年以降、ネパール東部のビハールで1934年にM8.3の巨大地震、その東方では1897年にM8.3の巨大地震が発生。また、ビハールの西ではカングラで1905年にM8.6の巨大地震が発生している。
しかし、カングラとビハールの間は巨大地震が発生していない(空白域)ため、M8以上の巨大地震に襲われるのではないかと懸念されていた地域。今回の地震はこの空白域の東端付近で起こったと考えられる。なお、今回の地震は、日本の震度に換算すると、震度6強-7に相当する。


レンガ造の脆弱性が被害を拡大

■住宅被害は約77万戸
ネパールやインド北部は元来地震が多い地域であるものの、建物はレンガ積みの耐震性のない脆弱な構造のものが多く、また山岳地帯では地すべりも発生しやすいなど被害が大きくなりやすい。今回もエベレストをはじめとして多くの山岳部で雪崩や地滑りが発生し、人的被害がでている。
特に人口が集中しているカトマンズ盆地は平均の深さが数百mになる湖底堆積物や河川堆積物で盆地が形成されており、きわめて地盤が軟弱な土地であるうえ、プレート境界断層の上盤側に存在している。また、ネパール含む中部ヒマラヤは地震空白域として知られていた為、地震に対して特に脆弱な土地であることが知られていたが、前回の大地震が81年前(1934年M8.1)で首都カトマンズの被害が少なかったことや震災体験者が少ないことも被害を拡大させた一因かもしれない。
また、現地で話を聞くと、建築基準法はあるものの、完成時の検査では遵守した建築物を見せるものの、その後各自が建て増しを行い、取り締まりも入らないことから上階ほど床面積を広げ、突き出た格好になっている建物もあり、被害拡大を導いてもいた。




構造がいかに大事かを再確認

今回のネパール大地震調査は、建物の構造は日本とは違うものの、プレート上に存在する国家であることや脆弱な地盤、古い建築物の低耐震性や構造によって被害が拡大するさまなど、決して他人事ではないことを痛感する。ましてや日本は地震だけでなく、津波や台風、ゲリラ豪雨、土砂災害、竜巻、火災、シロアリと住宅を襲う災害は多岐にわたり、そのどれもに打ち勝つだけの構造が要求されるだけに、このハードルの高さに達していない住宅が多いことも事実である。
今回の調査はレンガ造VS地震という構図であったが、いかに災害に対して住宅の構造が大切かということを再確認させられた調査であった。

6月8日 カトマンズの中心部から南に6qのココナへ向かう。この地で子供7人と女性2人が住宅の下敷きになり死亡している。



写真のように柱部分に鉄筋が入れられているものの、壁部分に鉄筋は入っておらず、レンガを1段ずつ縦横に積み重ねた状態。この建物は、3階部分の壁が道路に倒れ、屋内も内壁が崩れていた。

続いて訪れたのが中心部から南に4~5km、マッチャポカリのバスパーク(バスセンター)。古いバスパークが倒壊し35名が死亡。さらに近辺のゲストハウスが倒壊し、宿泊者など約300名が死亡している。



傾いた建物の前にバスパークが建っていた。地震発生が昼の11:56分に発生したということもあり、バスを待つ人たちも多くいた。

左の写真の前横に瓦礫があるが、ここにはゲストハウスがあり、倒壊した建物の下敷きで約300名が亡くなっている。傾いた建物の1階には人がおり、何かを探している様子が見られるが、倒壊が危険視される建物にさえ、規制線もない。小さな余震でも倒壊しそうである。 地震発生直後、家の中にいた人々は屋外に逃げ出し、その後何日も屋外で夜を過ごしたというが、仏教、ヒンズー教がしっかりと根付いているからか、空き部屋に入って盗難を行うようなものはいなかったという。 ネパール人の人柄は至ってまじめで、おもてなしの精神も持ち得る。ただ日本と違うのは、公共心の高さ、マナー意識の高さは大きく差があるようであった。



これから上層階を造ろうとしていた建物の構造

マッチャポリスの後は中心部から東に12kmの世界文化遺産のバクタプルへ。この一帯で約600名が亡くなっており、今なお立ち入り禁止となっている。ネワール族の最も古い王宮があり、約700年前に造られたという住居も残っている。今回の地震で、世界文化遺産に指定されている3つの巨大遺構が壊滅的な被害を受け、復興への道筋は全く見えていない状態である。



もちろん全住民が避難し、立ち入りが規制されている。



先端の塔が崩れ落ちて無くなっている。



白い建物は19Cイギリス統治時代の建造物。ひびが入り、つっかえ棒で倒れないように押さえている。


6月9日 カトマンズのシンボルタワー、ダラハラタワー(61.88m)が倒壊。タワーの中には見学者約150名がいたが、見学中に倒壊。2時間後に瓦礫から男の子が自力で脱出してものの他の方は亡くなった。



左が倒壊前の写真。右は倒壊後の写真。

その後、世界文化遺産バセンタプール王宮へ。中央にあったシバ神も倒壊。寺院に座っていたり、寝ていた人が倒壊に巻き込まれ60~70人が死亡した。







その後、JICAを訪問。八谷さんの長年の知人であるNarendraさんに挨拶。11時より次長の殿川さん、田中さんに挨拶。ただこの2人は震災後にカトマンズに赴任したため、当時の状況体験はなし。もっとも被害の大きかったチョウタラ県の情報を頂戴した。
続いて、世界文化遺産のパタン〜中心部から東に38kmのサクへ。元々街道の宿場町として栄えたが、約150名が死亡。住民に話を聞くと「自分の家族のことで精一杯。よその人が死んでいるのかどうかも分からない・・・消息が分からないのもたくさんいるが探すこともできない」と。また、いろんなところから援助が来たが、金持ちが持っていき、この地区で600軒壊れたが、支援物資を何ももらっていない・・・」と嘆いていた。



JICAにて。
左から田中さん、殿川次長、児玉、八谷さん

世界文化遺産パタンの修復はすべて手作業。重機も技術を持つ人出もない。





山はわずかな土地を求めて開墾されている。この山々を下って上る。




チョウタラの街中。両側に倒壊した建物が続く。




<終わりに>

今回の地震は約52秒程度、揺れていたようである。当日地震を体験した八谷さんは、「庭に出て話をしていたら、大きく揺れ始めたので、“ついに脳梗塞になったか・・・”と錯覚したと言います。横を見ると知人の奥さんが立てずに地面に這いつくばっている状態なので、これは地震だ!とわかりました。立っていることができずに、地面に這って収まるのを待っていました」と状況を語ります。

現在、30年以内に南海トラフ地震が発生する確率は70%を超えています。死者の想定は32万3000人。全壊棟数は160万戸を超えるのです。今回のネパール大地震の死者数は約8700人。全壊は約77万戸。実に37倍もの死者想定がされていることを忘れてはいけません。ネパールの比ではないのです。
ネパール大地震は日本に大きな警鐘を与えてくれました。長年来なかった地震に対し、何の対策も取っていなかった点、みんな「まさかここへ」と思うのは日本も同じです。日本はすでに「まさか」という状況ではないことを知らなければいけません。「日本の住宅はレンガではない」という人がいるかもしれません。しかし、M9近い揺れに耐えられるだけの住宅がどれだけあると思いますか?ましてや全壊は160万戸を超えるのです。そのうち7割が揺れによる損壊です。半壊、一部損壊をどれほどの数字になるのか、そら恐ろしくなってきます。これだけの損壊が発生した場合、重機も人もすべたが足りず、いつになったら復興するのか、ネパールのことを他人事と見ていたら大変なことになるでしょう。 全壊、半壊はもとより、一部損壊さえあってはいけません。災害に無傷の住宅を選ぶこと。真剣に考えると、いかに重要なことかがわかってきます
以上
報告者:一般社団法人 防災住宅研究所
代表理事 児玉 猛治
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