防災住宅研究所

コラム

<コラム26>東日本大震災から10年。全壊・半壊・一部損壊を合わせた住宅被害は約104万棟。天災の前に住宅は無力なのか・・・「防災住宅」があることを知って欲しい!

東日本大震災から10年

あの日から10年が経過する。長く感じた方、短く感じた方、置かれた環境によって様々だと思うが、体験した方々にしかわからない辛さや苦しさがあった10年間だったと思う。

私は福島原発の爆発もあり、被災地に調査に入ったのは東日本大震災発生から9日後の3月20日だった。
宮城県名取市閖上地区に入った時の光景は今でも鮮明に焼き付いている。巨大津波によって住宅は根こそぎ破壊され、運び去られた。
むき出しで折れ曲がった基礎鉄筋。コンクリートの基礎を残して、がれきの山と化した住宅が道路わきにうず高く積み上げられていた。
東日本大震災発生の直前まで、変わらぬ日々が繰り返されていたはずなのに、その跡形さえも、何もかも一瞬にして奪ってしまう災害の破壊力に改めて打ちのめされたことを思い出す。

基礎だけを残し、多くの住宅が流された閖上地区
基礎だけを残し、多くの住宅が流された閖上地区

平成25年4月25日に公表された総務省の「東日本太平洋岸地域のデータ及び被災関係データ」によると、全壊棟数126,273、半壊棟数269,726、一部損壊棟数644,946、合計1,040,945棟にも及ぶ。

津波による被害から蘇った住宅

東日本大震災での住宅被害の大半が津波による被害だったが、流されず残っていた建物の大半が鉄筋コンクリート造であった。
私が驚いた住宅が仙台市若林区にあった。
周りの住宅のほとんどが流される中、5m近い津波に襲われながらも流されることなく残り、その後リフォームをして蘇った住宅があったことだ。

リフォーム中の仙台市若林区佐藤邸。この家があったおかげで裏の木造住宅が流されず、住人はヘリコプターで助けられ、一命を取り留めた
リフォーム中の仙台市若林区佐藤邸。この家があったおかげで裏の木造住宅が流されず、住人はヘリコプターで助けられ、一命を取り留めた
リフォーム中の2階のデッキで佐藤さんにインタビューをする所長の児玉
リフォーム中の2階のデッキで佐藤さんにインタビューをする所長の児玉

海岸沿いに植えられていた防風林が窓を突き破り30本近く家の中に入り、3台の車が外壁にぶつかり止まっていたそうだが、躯体構造に損傷はなく、内装工事等のリフォームによって生活を取り戻し、
「自宅を失った方々がこの地に帰ってきたときに寄っていただける場所にしたい」
という思いから、「絆」という喫茶店をオープンさせている。
リフォームして再建したものの、残念ながらこの地に嵩上げ道路を通すということで移転を余儀なくされたが、この住宅工法はWPC工法の住宅であった。

私は被災地で他のWPC工法で造られた住宅の調査も行ったが、どれも津波に襲われながらも流されていないばかりか、目だった損傷もなく、そのままの姿を残しているのには驚愕した。
静岡県に本社を置くWPC住宅メーカーでは、流されず残っている姿を見て、「屋上に出るためのペントハウスを密閉化することで空気だまりが作られ、住人が逃げ込めば助かるのではないか」と何度も実験を行い、「津波対策シェルターペントハウス」を完成させ販売している。
震災から10年が経つが、他の住宅メーカーで「津波対策」に取り組んだという話は未だ聞いていない。

「命を守る」ことのできる住宅とは?

災害はいつ、どのような形で襲って来るのか、研究は進んでいるが、現状はまだ人知を超えて襲って来る。
巨大地震にも一部損壊もなく耐え、津波にも耐え、巨大台風にも動じることなく、土砂災害にも流されず残っていた住宅は、私が多くの災害現場を調査した中ではWPC工法の住宅のみである。
この工法のみ「防災住宅」の称号を与えられると思う。
「命を守る」ことのできる住宅。災害から家族の命を守るためには、必須である。

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