防災住宅研究所

コラム

<コラム13>注目すべき関連死。東日本大震災3,739人。熊本地震214人・・・被災後も「自宅」で生活できれば、減らすことができるのではないか!

家々が津波によって流され基礎だけ残る宮城県名取市閖上地区

忘れもしない3月11日。今年であの日から9年が経過した。
福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射性物質の放出爆発などもあり、東日本大震災の被災地に到着したのは10日後の3月21日だった。それまでも多くの災害現場には直後に足を運び、現地調査をしてきて慣れているつもりだったが、宮城県名取市の閖上地区に足を踏み入れた時の光景は今でも脳裏に焼き付いて消え失せることはない。「声も出ない」ほど、驚愕に暮れた悲惨な被災地だった。沿岸部に広がる閖上地区は東日本大震災の津波によって97%もの家屋が流され、視界を遮るものはほとんどなかった。津波によって家屋がすべて流されてしまった木造住宅や軽量鉄骨住宅の跡地には、コンクリートの基礎とむき出しになった鉄筋だけが残されていた。
10日前は子供たちが無邪気に笑い、お年寄りがゲートボールで集っていたはずの公園も津波によって流され辿り着いた住宅の廃材の山で見る影もない。
その光景が今も蘇る・・・。

今年3月12日の新聞朝刊に「東日本大震災の被害と復旧状況」と題し、下の表が載っていた。

東日本大震災の被害と復旧状況

死者・行方不明者・震災関連死を合わせ2万2167人が犠牲になった。
このお亡くなりになった数字の中の震災関連死3739人に関して、もし自宅が津波に流されず、原発爆発による避難によって自宅が奪われず、その地で再生活をすることができたならば、少なくすることができたのではないかと思う。
同様に熊本地震でお亡くなりになった方は272人。そのうち関連死に認定された方は214人。実に78.6%である。
復興庁が平成24年8月21日に発表した「東日本大震災における震災関連死に関する原因等(基礎的数値)」について、によると、最も多かった原因は「避難所等における生活の肉体・精神的疲労」となっており、2番目が「避難所等への移動中の肉体・精神的疲労」となっている。
熊本地震の関連死で亡くなられた方の原因を調べてみると、車中泊によるエコノミークラス症候群の発症や車中泊による睡眠不足によって急性腎不全やストレスからうつ病を発症し自殺したケースや高齢者施設内の環境変化に対するストレスで死亡された方など、心的ショックや環境が変わることのストレスによって、体力のない後期高齢者や心筋梗塞や脳卒中などの持病をもつ人や障害者など、何らかのハイリスクの人たちが、震災後の避難生活に耐えられず、死期を早めていくケースが多い。
東日本大震災で5mの津波を受けながらも自宅が倒壊することなく残ったことで、リフォームで再興し「希望」と言う名の喫茶店をオープンさせた仙台市若林区のSさんが、「津波によってこの地を離れることを余儀なくされた方々が再びこの地を訪れたときに、コーヒーを振る舞ってあげたい」と目を輝かせながら語っていたことを思い出す。前向きに生き生きとされていた。「復興の一つのモニュメントとしてこの家を使っていただければ」と言われていたこの住宅こそが、注目する「WPC工法」で造られた住宅だった。

仙台市若林区で5mの津波に襲われながらも流れることなくリフォームし「希望」という喫茶店を開いたS様邸

仙台市若林区で5mの津波に襲われながらも流れることなくリフォームし「希望」という喫茶店を開いたS様邸

このSさんのように、自宅が流されることなく残り、震災後も「我が家」で住むことができたなら、プライバシーのない避難所でのストレスを受けることもない。
防災住宅研究所では災害が襲ってきても「逃げなくても良く」被災後も自宅で生活のできる「防災住宅」の普及を推進しているが、東日本大震災で「我が家」を失った方々、熊本地震で「我が家」を失った方々の中で、自宅を失うことなく災害後も自宅で生活ができたならば、関連死で亡くなられる方々の人数は必ず減少するものと思っている。
迫りくる大災害に対し、「家族の命を守るのは家」ということを再認識し、これから家を建てようとされるなら「防災住宅」の意識を持って欲しいと思う。

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