防災住宅研究所

被災地調査報告

軽量鉄骨系大手住宅メーカーも全壊!

■視察日 平成28年4月24日

■視察コース 南阿蘇(土砂災害)~益城町(最大深度7)

■被害状況(4月25日現在)

死者 61人(関連死12) 避難者 約4.8万人
行方不明者 1人 断水 約37.3万戸
重軽症者 1,312人(重症270人)    
全壊 1,675棟 停電 約7.61万戸
半壊 1,553棟    
一部損壊 2,234棟 ガス停止 約10.5万戸

<2度目の視察へ 木造だけでなく軽量鉄骨増も倒壊>

1回目の視察で南阿蘇に回ることができなかったため、4月24日早朝より、南阿蘇の東海大学学生が居住するアパートが崩壊し、若い命を失ったアパートに向かった。ところが幾度にも重なる地震によって、阿蘇山の火山活動によって降り積もった軽石層が破壊され、各所で土砂災害を発生させる(水を含んだ軽石層が地震の揺れで壊れ、液状化によって緩斜面で地滑りが発生)とともに、道路を陥没させ、いたるところで通行止めの状態。現地にたどり着くことができず、益城町へと向かった。

2度目となった益城町の調査だが、宮園地区は壊滅的ともいえる被害状況を呈していた。2度の震度7という激震に襲われた木造住宅は、1度目の震度7で倒壊したものもあるが、基礎や柱に大きな損傷を受け、2度目の震度7で倒壊したものが多い。瓦が落ちていない木造住宅は皆無と言えるほど。1度目の震度7が21時台、2度目の震度7が25時台であったことで瓦の落下による死者は報告されていないが、もし7時~8時台で地震が発生していた場合、小学生などの登校中に瓦が直撃し、多大な死傷者を出してしまうことは予測できる。同時に家々を囲んでいるブロック塀だ。益城町では通りに倒壊しているブロック塀が多く、無傷のものはほとんどない。瓦同様に通学中に地震が発生をしていたら、大きな被害を出していたことは間違いない。この瓦とブロック塀は、防災上非常に危険だ。住宅メーカーは真剣に対策を講じるべき問題である。

さて、今回の熊本地震は木造住宅だけでなく、地震に強さをPRしている軽量鉄骨メーカーの住宅も「無傷」で残っているものほとんどなかった。1度目の激震で接合部に緩みが生じた状態に、2度目の激震で変形が増進。倒壊したものもある。現地で大手住宅メーカーD社の社員が破損、倒壊した自社の建物を調査に来ていたが、どのような気持ちで観ていたのだろうか。もし、自社の住宅が倒壊し、お住まいの方から死傷者が出ていたなら、どのような責任を取るのか。「天災だから」「これまで記録したことのない震度7が2度襲ってきたから・・・」と想定外を理由に無責任を決め込むのか。倒壊した住宅メーカーを公表し、社会的責任を取らせることも今後は必要ではないかと思えるほどだ。

なぜ、日本人はこうも地震によって、あるいは他の災害によっていとも簡単に破壊される住宅に住んでいるのだろう。416年の日本書紀に記録されて以来、1600年間で地震・津波・火災によって記録があるだけでも50万人以上の死者を出しているにもかかわらず、同じ繰り返しをしている。災害をなめている!としか言いようがない。

<震度7の激震が2度襲う中、WPC住宅は無傷だった>

同じ宮園地区で壊滅状態になっていた地域から800m程度のところに築28年のWPC住宅があった。旧ウベハウスである。こちらは第1回目の調査で訪問した住宅だが、2度の震度7にも損傷がなく、無傷の状態で残っている。隣家の木造住宅は瓦が破損し、壁に亀裂も入っている。畑だったところに土を入れた庭であったため、庭・玄関に亀裂が入っているが建物には何の損傷もない。もちろん住人の方に死傷者はいない。

防災教育が各所でなされているが、なぜ防災の第一は「災害に無傷の家に住む」ことでないのか不思議でならない。阪神淡路大震災の死者6434名のうち約80%の方々が建物の倒壊による圧死である。もしこの建物がWPC住宅であったなら、5000名もの尊い命が助かっている。今回も関連死は別にして、死者の大半は建物の倒壊による圧死だ。同様の地区で無傷で残っていたWPC住宅がある現実をもっと直視しなければならない。  マスコミも同様に悲惨さを競う報道ばかりを競うのではなく、この激震の中、「無傷」で生き抜くとことができる、シェルターのような住宅があることを報道し、希望の光を提供すべきであろう。

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