防災住宅研究所

被災地調査報告

約1,500戸が損壊!巨大化する豪雨災害

球磨川が氾濫し、熊本県人吉市の広範囲が水没、球磨村では5m近い氾濫水で多くの被害が出た

視察日:
令和2年7月6日(月)熊本県芦北町 7日(火)人吉市(通行止めのため断念)
令和2年7月14日(火)大分県日田市 15日(水)熊本県人吉市、球磨村
令和2年7月18日(土)広島県東広島市河内町

玖珠川が氾濫し、多くの被害を出した大分県日田市天ケ瀬温泉
玖珠川が氾濫し、多くの被害を出した大分県日田市天ケ瀬温泉
(内閣府資料:令和2年7月豪雨被害について:7月27日午前7時現在)
(内閣府資料:令和2年7月豪雨被害について:7月27日午前7時現在)
(日本気象協会 : 令和2年7月豪雨における大雨の特徴)
(日本気象協会 : 令和2年7月豪雨における大雨の特徴)

「なんで熊本ばかりが・・・」熊本県人吉市での調査の折、被災された家屋のご主人がポツリとつぶやいた言葉が頭から離れない。
2016年4月14日、16日に記録上初めてとなる震度7の地震が2度襲ってきた熊本地震を経験。今では関連死を含め272名、家屋損壊は20万棟にも及んだ。
更にその年6月20日~梅雨前線に伴う大雨によって6名の死者と380棟の住宅被害に遭っている。
その言葉通り、「令和2年7月豪雨」によって最も多くの被害を受けたのが熊本県である。上記に国内の被害状況を記したが、熊本県内の被害状況は下記のようになっている。

多くの被害をもたらした「令和2年7月豪雨」の概況は、7月3日から13日にかけて、活発化した梅雨前線の影響で暖かく非常に湿った空気が流れ込み、九州北 部地方など広い範囲で大雨となった。九州では、この期間の総降水量が1,000 ミリを超える地域があった。3日から4日にかけては、球磨川流域に線状降水帯が停滞し、24時間雨量(流域平均)が400ミリを超え、 球磨川などで河川の氾濫が発生した。6日から8日にかけては、九州北部・中部を中心に線状降水帯による 大雨となり、48時間雨量が500ミリを超えて、浸水害や土砂災害が発生した。
東シナ海から大量の水蒸気 が流入し、線状降水帯が13回も発生。 球磨川では、計画降雨を超 える大雨となり、6時間・12 時間降水量で既往最大値を大幅に超えた。筑後川では、計画降雨と同程度の大雨となり、48時間・72時間降水量で既往最大値を大幅に超えた。

さて、現地調査の方だが、7月4日に球磨川氾濫の状況を知り、5日に熊本市入りし、6日午前中に土砂災害によって2名の命が失われたという芦北町の災害現場を訪れた。崩壊の大 きさは,長さ(水平距離)100m,高さ 50m,幅 10~50m程度であり,崩壊した土砂は流木とともに,直下にあった人家を襲って,さらに下位に位置 する田畑に氾濫堆積していた。残念ながら木造住宅では流れ出た土砂を受け止めることもできず、1階部分が押しつぶされた状態であった。

芦北町の土砂災害現場。2人の尊い命が失われた
芦北町の土砂災害現場。2人の尊い命が失われた

芦北町の後、午後から人吉市、球磨村を目指したが、熊本方面から人吉市に通じる道はことごとく通行止めになっていた。Googleマップを頼りに、人吉市までの道のりを模索し、山越えの道などを敢行したが、行く先々で通行止め。道路は山からの水があふれ、岩とも呼べるような礫が道路を埋め尽くしているようなところもあり、引き返さざるを得なかった。当日、人吉市に行ける可能性は鹿児島や宮崎から回り込むルートしかなかったようで、日数を置いて、再調査に出かけることとした。

いったん引き上げた後も梅雨前線は引き続き九州~西日本に多くの雨を降らせ、大分県日田市天ケ瀬温泉等で河川が氾濫。14日に現地調査に入った。

橋が崩壊するほど激流が流れ氾濫した玖珠川
橋が崩壊するほど激流が流れ氾濫した玖珠川

678年(飛鳥時代)に大地震が起き、その際に熱湯が噴出し始めたという起源を持つ大分県日田市の天ケ瀬温泉。筑後川の支流、玖珠川の畔に建つ鄙びた温泉宿が玖珠川の氾濫によって一変した。通常の水位からは想像を絶するほどの水量。中には2mを超える水に襲われ、建物1階に置かれていたものがすべて氾濫した川に持ち去られるなどの被害が相次いだ。日田市では全壊8棟、半壊16棟、一部損壊20棟。川沿いということもあり、基礎はコンクリートや軽量鉄骨、柱は軽量鉄骨に木造であったり、レンガが使用されていたり・・・一概に○○工法と呼べない住宅も多いようであったが、壁がはがされ柱がむき出しになった住宅も少なくなかった。

壁がはぎとられ、柱がむき出しになった住宅
壁がはぎとられ、柱がむき出しになった住宅

翌15日。前回不通だった九州自動車道八代IC~人吉ICも復旧したことで、人吉市には難なく入れた。過去何度も氾濫し、多くの被害を生み出してきた球磨川。1955年中流域に発電用ダムとして建設された県営荒瀬ダムを悪臭や汚泥を取り除き清流を戻そうと2012年から6年かけて国内初の撤去。水中の生き物が増えるなど「清流が戻り、環境も戻った」と喜ばれてもいたが、一方で災害対策は大丈夫なのかと議論を呼んでいた川でもあった。
他にも国の直轄事業として1966年に計画をした川辺川ダムも民主党政権時に球磨川流域の反対世論に押されて県が白紙撤回を求めストップした経緯があり、今後どのように球磨川の治水を行っていくのか注目がされている。
人吉市の市街地は約3mの氾濫水が襲い、「水没」してしまった感がある。家の中にたまった「泥」のかき出しに汗を流す住人。コロナウイルス感染症の問題もあり、県外者からのボランティア活動は自粛が要請されているため、人手が全く足りておらず、復旧までの道のりが見えない、そんな感じだ。
一度水に浸かった住宅の修繕は大変だ。浸かった家財道具や畳などを外に出し、溜まった泥をかき出し洗浄し、乾燥させるが、川砂は微細で住宅の隙間に入り込み、100%撤去することは困難に近い。この時期、カビの温床にもなり、悪臭が付きまとう。

1階部分が浸かり、壁などがはがされている
1階部分が浸かり、壁などがはがされている
床材をはぎ、土砂を撤去。綺麗に取り除くことは至難の業だ
床材をはぎ、土砂を撤去。綺麗に取り除くことは至難の業だ
街の街灯の先端を超えて氾濫水が襲った
街の街灯の先端を超えて氾濫水が襲った

断熱材を使用している住宅ならば、サイディング等をはがし、濡れた箇所まで断熱材を取り替える必要があり、かなりの修繕費が必要になってくる。
私は住宅を購入するときは、「災害が襲ってくる」ことを前提に購入しなければ「あとで痛い目に合う」と力説しているが、我が家を災害が襲うなんて考えていない方がほとんどだろう。いまや「まさか」ではなく「またか」というくらい災害が襲ってくる時代であることを知らなくてはならない。

続いて調査に入ったのは球磨村である。被災住民に話を聞いてみると、一戸建ての2階屋根部分まで氾濫水が襲い、村を一時水没させたそうである。現地は住人が避難し、襲われたままの状態で住宅が放置されているという感じだ。現地にたたずみ「あの屋根まで襲った」と見上げると、人間の想像を超えた自然の驚異を感じざるを得ない。「想定外」などというたやすい言葉でまとめることなどできず、これからは「想定外」を「想定内」とした災害対策が求められているのではないか。
温暖化の影響か、太平洋の海水温が高いままで推移している状況に、梅雨前線や台風の巨大化は避けられない状況と言われている。
すなわち、これまで「大丈夫だろう」としていた住宅工法も「危ない」ことを自覚し、災害に最も強い住宅工法はどのような工法であるのか、本気で考える時期に来ていることは間違いがない。
残念ながら木造住宅、軽量鉄骨・重量鉄骨造ではこれから迫りくる巨大災害に対し、家族の命を守ることは厳しいと災害現場に行くほど、思わされてしまう。

濁流に飲まれた1階部分
濁流に飲まれた1階部分
屋根がはがされている
屋根がはがされている
この住宅の3階から住民がヘリコプターで救出された
この住宅の3階から住民がヘリコプターで救出された

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