観測史上初、震度7が2回発生!WPC住宅は無傷!
■視察日 平成28年4月16日
■視察コース 熊本城~益城町(最大深度7)
■地震の概要
4月14日21時26分以降に発生した震度6弱以上を観測した地震 (4月17日15時現在) |
発生時刻 震央地名 マグニチュード 最大震度 |
4月14日 21時26分 熊本県熊本地方 6.5 7 |
4月14日 22時07分 熊本県熊本地方 5.8 6弱 |
4月15日 00時03分 熊本県熊本地方 6.4 6強 |
4月16日 01時25分 熊本県熊本地方 7.3 6強 |
4月16日 01時46分 熊本県熊本地方 6.0 6弱 |
4月16日 03時55分 熊本県阿蘇地方 5.8 6強 |
4月16日 09時48分 熊本県熊本地方 5.4 6弱 |
平成28年 4月18日06時11分 気象庁発表
熊本県熊本地方、熊本県阿蘇地方、大分県西部、大分県中部の震度1以上の時間別地震回数は次のとおり。
◆4月14日
総回数 40回 震度7:1回 震度6強:0回 震度6弱:1回 震度5強:0回 震度5弱:1回 震度4:9回 震度3:6回 震度2:10回 震度1:12回
◆4月15日
総回数112回 震度6強:1回 震度6弱:0回 震度5強:0回 震度5弱:1回 震度4:10回 震度3:19回 震度2:51回 震度1:30回
◆4月16日
総回数202回 震度6強:2回 震度6弱:2回 震度5強:1回震度5弱:4回 震度4:36回 震度3:67回 震度2:70回 震度1:20回
◆4月17日
総回数138回 震度4:11回 震度3:28回 震度2:70回 震度1:29回
■被害状況(4月17日現在)
死者 | 42人 | 避難者 | 約11万人 |
行方不明者 | 10人前後 | 断水 | 約27万戸 |
全壊 | 400棟以上 | 停電 | 約35400戸 |
半壊・一部損壊 | 2000棟以上 | ガス停止 | 約105,000戸 |
<地震の歴史は繰り返す>
「平成28年熊本地震」と名付けられた4月14日~16日における連続地震。被災者は「まさか」を連発していたが、熊本県にとって地震は古から何度も起こっている。熊本県内では、1904年(明治37年)より現在までの110年間には、小さな地震発生は含めず、被害をもたらした震度4以上の揺れを感じる主だった地震の発生は、63回も起きている。
今回の地震で国の重要文化財となっている熊本城の被害が大きく、長塀が約100メートルにわたり倒壊、石垣は少なくとも6カ所で崩れている。天守閣へ向かう正面の門「頬当御門」付近では、崩れた石垣で道がふさがっている。14日のM6.5に続き、16日にM7.3の地震が発生したことで天守閣のしゃちほこの瓦も落下。復旧にはかなりの時間と費用を要することが予測されるが、資料⑥にもあるように、1625 年7月21 日(寛永2.6.17)に発生した M5~6地震によって熊本城の火薬庫爆発、天守付近の石壁の一部が崩れている。城中の石垣にも被害があり、死者約50人をだしている。多くの地震に遭いながらも現在も倒壊しることなくその姿を残している姿に感銘する。今回の地震でも多くの木造住宅が倒壊し尊い命を奪っている。現代の住宅建築がいかに簡易に造られているか、憂慮すべき点である。
資料②にもあるように、熊本県内は多くの活断層を有し、M5~7の地震を繰り返している。決して「まさか」ではない。過去を蔑(ないがし)ろにして、住宅対策を怠ってきた結果が、多くの死傷者数を生んでいる。
<なぜ、災害に対して崩壊する家をたてるのか!>
災害現場に調査に行くといつも思うことがある。「日本は世界でも他に例を見ないほどの災害多発国家だ。地震、津波、台風、竜巻、ゲリラ豪雨、土砂災害、火災と命を脅かす災害は非常に身近なところにある。であるのに、なぜ、これら災害から家族の命を守る住宅に住まないのか」と。
今回の一連の地震も14日~16日に発生した震度6以上の地震7回のうち6回は20時~4時の間に発生している。即ち、家の中で遭遇した可能性が高い。家族の命を守ってくれる一番の砦は「我が家」であるのに、命を守るべき住宅に押しつぶされ多くの方が命を失っている。
「日本国民の方々、目を覚ましなさい! 巨大災害は必ず襲ってきます。その時家族の命を守ってくれるのは、どんな災害に対しても潰れない、凶器とならない住宅を選ばずしてどうするのか」
全壊にならずとも、半壊ではもうその家に住むことはできない。建て替えとなる。一部損壊でも修繕費に数十万円~数百万円必要となる。人生設計が狂ってしまう。ましてや、家族の命を失うことになれば、悔やんでも悔やみきれない。40名以上の方が亡くなり、2000戸以上の家が壊れている。この現実をもっと真剣に考える必要がある。
<最大震度7でもやはりWPC住宅は無傷だった>
最も被害が大きかった益城町。全壊棟数が最も多く、瓦が落下したもの、壁に亀裂が入ったもの、サイディングが外れているものなど、見る家すべてがどこか傷を負っている。そんな中、益城町宮園にあるWPC住宅は、無傷の状態で存在感を誇っていた。
このWPC住宅は過去阪神淡路大震災や新潟中越・中越沖地震、能登半島地震などの直下型地震に無傷を証明し、災害多発国家日本を救う住宅として注目をしていた。あらかじめ工場でコンクリートを型枠にはめ込んでパネルを作り、現場で箱型に組み立てる工法。強固なコンクリートパネルと箱型構造であること、重量があることであらゆる災害から「無傷」の実績を持つ。一昨年夏広島を襲い76名もの死者を出した土砂災害の折も、2mもの土砂を受け止め流されることなく住人の命を守っている。
このWPC住宅にお住いの栁川成章さんは、今年で築28年を迎えるという。メーカーは百年住宅西日本となったウベハウス。13年目に一度外壁塗装をし、今年5月に再度外壁塗装を予定していたという。「14日の時(M6.5 震度7)よりも16日未明の時(M7.3震度6強)の揺れの方がすごかったですね。最初の地震で避難所に隣に住む息子たちと行って、停電も回復したのでもう大丈夫かなって返ってきた矢先にまた大きな揺れでびっくりしました。2回目の地震で玄関や庭に亀裂が入りましたが、家の方は何ともないようです」
基礎杭を打っている建物下の地盤に変化はないが、杭の打っていない住宅の周りは地盤に亀裂が入っていた。隣家の木造住宅は瓦が落ちただけでなく、壁に亀裂まで入っている。
近隣も無傷の状態の家は見当たらない。震度がいかに大きかったかがわかる。その中で今回も「無傷」を証明したWPC住宅。一部損壊と「無傷」の違いは大きい。災害国家だけに早急な普及が望まれる。
●資料 熊本県内地震の歴史
1619 年5月1日(元和5.3.17)肥後八代
M:6.0 麦島城をはじめ公私の家屋が破壊した。
1625 年7月21 日(寛永2.6.17)熊本
M:5~6地震のため熊本城の火薬庫爆発、天守付近の石壁の一部が崩れた。城中の石垣にも被害、死者約50人。
1723 年12 月19 日(享保8.11.22)肥後・豊後・筑後
M:6.5肥後で倒家980、死者2。飽田・山本・山鹿・玉名・菊池・合志各郡で強く、柳川辺でも強く感じた。
1769 年8月29 日(明和6.7.28)日向・豊後・肥後
M:7 3/4延岡城・大分城で被害多く、寺社・町屋の破損が多かった。熊本領内でも被害が多く、宇和島で強く感じた。津波があった。
1792 年5月21 日(寛政4.4.1)雲仙岳
M:6.4前年10 月8 日から始まった地震が11 月10 日頃から強くなり、4 月1 日に大地震2回、前山(眉山:天狗山)の東部がくずれ、崩土約0.34km3 が島原海に入り津波を生じた。対岸の肥後でも被害が多く、津波による死者は全体で約15,000、潰家12,000。「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた。
1889 年7月28 日23 時45 分(明治22)熊本付近
M:6.3 熊本地震 飽田郡を中心に熊本県下で被害大。死者20・負傷52、家屋全壊228・半潰138、地裂880、堤防崩壊45、橋梁壊落22・破損37、道路損壊133。柳河地方でも潰家60余。肥後・筑後地方で強震
1894 年8月8日23 時19 分(明治27)熊本県北部
M:6.3 阿蘇郡永水村で家屋土蔵破損15、石垣の崩壊が多かった。長陽村で家屋破損1、石垣崩壊9。
1895 年8月27 日22 時42 分(明治28)熊本県北東部
M:6.3 阿蘇郡山西村で土蔵破損400、堤防亀裂8、石垣崩壊22、石碑・石灯籠の転倒多し。永水村で家屋破損5。その他の諸村で小被害。肥後・筑後地方で強震。
1906 年3月17 日21 時20 分(明治39)熊本付近熊本市内で陶器店・ガラス店にて多少の被害。最大震度Ⅳ:熊本
1907 年3月10 日22 時03 分(明治40)熊本付近
M:5.4 煉瓦煙突破壊1、家・倉庫壁の亀裂3などの軽被害。最大震度Ⅳ:熊本
1909 年11 月10 日15 時13 分(明治42)宮崎・熊本県境
M:7.6 震域広く日向・土佐で潰家・死者あり。宮崎市で被害大。県内で負傷3。
最大震度Ⅴ:宮崎・大分・鹿児島・佐賀・岡山・徳島・広島など。震度Ⅳ熊本。
1931 年12 月21 日14 時47 分(昭和6)八代海
M:5.5 大矢野島群発地震。22 日と26 日にM:5.6、5.9 の地震(下記)。21 日、22 日の地震により八代町沿岸に多少の被害。26 日の地震により八代郡田浦付近で壁の剥落50
~ 60、堤防亀裂、石垣崩壊等の被害。大矢野島の護岸・堤防決壊す。最大震度Ⅴ:牛深。
1931 年12 月22 日22 時08 分(昭和6)八代海
M:5.6 被害は上記の地震と重複。最大震度Ⅴ:牛深
1931 年12 月26 日10 時43 分(昭和6)八代海
M:5.9 被害は上記の地震と重複。最大震度Ⅴ:牛深
1937 年1月27 日16 時04 分(昭和12)熊本県中部
M:5.1 上益城郡秋津村で長さ10 間(18m)幅3 尺(0.9m)の石橋崩れ落つ。最大震度Ⅴ:牛深
1941 年11 月19 日01 時46 分(昭和16)日向灘
M:7.2 日向灘地震。大分・宮崎・熊本の三県で死者2・負傷18、家屋全壊27・半壊32
その他、石垣崩壊、煙突破損、道路破壊等あり。宇和島・宿毛でも軽微な被害。九州の東岸・四国の西岸に津波襲来し、細島・青島・宿毛で波高約1m。船舶の転覆流失あり。干潮時のため津波による陸上の被害なし。余震多く、30 までに有感23 回・無感71回
最大震度Ⅴ:宮崎・人吉・宿毛・延岡
1968 年2月21 日08 時51 分(昭和43)宮崎県南西部
M5.7 えびの地震。2 月10 日頃から前震あり、この地震に引き続き21 日10 時45 分(M6.1)、22 日19 時19 分(M:5.6)にも地震があり、これらの地震で被害が発生した。多数の余震あり。死者3・負傷42、家屋全壊368・半壊3,176、非住家被害 1,494、道路被害73、橋梁損壊9、堤防亀裂4、山(崖)崩れ44、鉄道被害6、通信施設被害100。最大震度:Ⅴ:人吉
1968 年2月21 日10 時45 分(昭和43)宮崎県南西部
M6.1 えびの地震の最大規模の地震。被害は上記の地震と重複。最大震度Ⅴ:人吉。
1968 年2月22 日19 時19 分(昭和43)宮崎県南西部
M5.6 被害は上記の地震と重複。最大震度Ⅳ:人吉。
1968 年3月25 日01 時21 分(昭和43)宮崎県南西部
M5.4 えびの地震の余震。死者3、住家全壊18・半壊147、非住家被害309、道路損壊6、橋梁破損5、山(崖)崩れ11、通信施設被害97。最大震度Ⅳ:人吉。
1975 年1月23 日23 時19 分(昭和50)熊本県北東
M:6.1 阿蘇郡一の宮町手野地区に被害集中。負傷10、道路損壊12、山(崖)崩れ15。最大震度Ⅴ阿蘇山
1984 年8月7日04 時06 分(昭和59)日向灘
M:7.1 宮崎・大分・熊本の各県で被害。負傷9、建物一部破損319 など。弱い津波があり、延岡で18cm を記録。最大震度Ⅳ:宮崎・延岡・油津・大分・熊本・宇和島。
1987 年3月18 日12 時36 分(昭和62)日向灘
M:6.6 宮崎県で被害大。死者1・負傷若干のほか、建物・道路などに被害があった。大分・熊本県で被害あり。最大震度Ⅳ:熊本、阿蘇山、人吉。
〔熊本県の気象百年(熊本地方気象台)による〕
1997 年3月26 日17 時31 分(平成9)薩摩地方
M:6.3 水俣市を中心にシラス崩れ、壁の亀裂、窓ガラス割れ、落石等の被害発生。最大震度:4(熊本市京町、八代市、松橋町、人吉市、牛深市、芦北町、大矢野町)
1997 年5月13 日14 時38 分(平成9)薩摩地方
M6.2 水俣市を中心にシラス崩れ、がけ崩れ、屋根瓦の落下、家屋のひび割れ等の被害発生。最大震度:4(八代市、松橋町、人吉市、芦北町、大矢野町)
1999 年3月9日12 時53 分(平成11)阿蘇地方
M4.5 西原村、長陽村等においてブロック塀の倒壊、屋根瓦の落下、落石等の被害発生。最大震度:4(旭志村)
2000 年6月8日9時32 分(平成12)熊本地方
M4.8 益城町、嘉島町、御船町で屋根瓦多数落下、砥用町で落石被害発生。最大震度:5弱 (※富合町、※嘉島町)
2001 年1月10 日19 時33 分(平成13)阿蘇地方
M3.9 高森町で落石、水道管破裂、屋根瓦の落下、窓ガラス破損等の被害発生。最大震度:3(産山村、※波野村、※蘇陽町、白水村、※久木野村、※長陽村、※清和村)[高森町の文部科学省設置の地震計で震度5強を表示]
(注) ※は県の震度計
(熊本県防災情報ホームページより抜粋)
熊本県の気象官署における震度別有感地震発生数