巨大竜巻に折れ曲がる軽量鉄骨!
[ムーア竜巻被害状況]
発生日時
2013年5月20日 14:45 ~ 15:35
被災地域
オクラホマ州ムーア・ニューキャッスル
竜巻規模
EF5(最大値)
死者
24人
負傷者
240人
建物被害総額
約2000億円
[日程]
2013年6月2日
15:55成田発 ~ (同2日)15:40ワシントン着
18:50ワシントン発 ~ 20:55オクラホマシティ着
21:30現地ガイド Tom Tanizawa氏と打ち合わせ
6月3日
8:45ホテル発 ~ Moore撮影(最大の被災地)
13:00不動産会社FARMERS訪問
14:00再びMooreに戻り撮影 ~ 17:00終了
6月4日
フリー(午後よりオクラホマシティ中心部撮影)
6月5日
7:24オクラホマシティ発 ~ 9:22シカゴ着
[予備知識、取材より]
オクラホマ州は、州度面積が実に日本の半分近くもあり、州の形は丁度中華包丁を横にしたような形である。州は草原地帯と森林地帯が半分ずつを占めるが、到着直後からどうも目が真っ赤になり痛いのは、何がしかの花粉が飛んでいるせいらしい。同州タルサは、世界で最も花粉の多 い地域として有名とか……。
天然ガスや石油を産出することから、エネルギー、航空機、通信、バイオテクノロジーの分野に経済の基盤を持つ。
オクラホマシティはアメリカ大陸の西と東を結ぶ要衝として、物流拠点として注目される地で、物価も安く、リタイアした夫婦がこの地に引っ越してくるケースも少なくないという。
竜巻街道と呼ばれる多発地帯ということもあり、オクラホマ大学は気象学が有名。
年間収入は約40,000~60,000ドル、奥さんのパート代等を入れて60,000~70,000ドルと思われる。ほぼ日本と同様かもしれない。
6月3日9:00
さて、5月20日に発生した竜巻被害の最も大きかった地区Moore(モア)に向かう。日本では(ムーア竜巻)と呼んでいるが、(モア)と言う発音が正しいらしい。Mooreは、オクラホマシティの南、車で約20分程度の距離にある住宅地。北海道の平原を思い出すような芝生が広がる長閑な風景である。
ところが、サウスカナディアン川にかかる橋を越える辺りから表情が一変する。
思わず、宮城県名取市の閖上地区を思い出してしまったほどだ。瓦礫の山がうず高く道路の両脇を占めている。過去日本国内で視察した宮崎県延岡市、茨城県つくば市の竜巻は100~300mの幅で、7~8kmの傷跡を残して通り過ぎて行ったが、スケールが違う。幅は実に3km。長さにして30kmにも及ぶ。竜巻の規模を示す藤田スケールもEF5を記録。日本では発生したとのないスケールである。
被害の最も大きかったニューキャッスル地区を訪れる。基礎だけを残して建物を見つけることができない家、全壊している家、屋根が部分的に飛ばされている家など様々だ。家の中は、泥が床だけでなく、壁や天井にまで吹き付けられた状態のまま、残っている。家財は散乱し、当然のことながら、二度と住むことができる状態ではない。
被災して1週間、この地はほぼ通行止めで、住人のみが貴重品等を取りに帰ることができたようだ。2週間が経った現在はほとんど住人の姿はなく、少数のボランティアが復旧作業に当たっていた。しかし、東日本大震災後のボランティアの100分の1にも満たない数であった。
<Moore地区で屋根、壁も飛ばされ原型をとどめなくなった住宅>
その後、多くの小学生が亡くなったブライウッド小学校跡地を訪れる。既に建物は取り壊され、敷地を囲ったフェンスに思い出の品々が飾られている姿は胸が痛む。子供を失った悲しみは、国境を越えても変わらない。
この地の壊れた住宅も撮影。復旧までどの位の月日が必要なのだろうか。東日本と重ね合わして考えてしまう。
近くに地下シェルターを発見する。鉄の扉を開けると階段があり、5段程度でたどり着く。中に入ってみる。中の広さは幅2m×1.5m、高さ2m程度。コンクリートの壁厚は5cm程度。空気穴だろうか、直径10cm程の穴が2箇所上部左右の天井に空いている。土地に穴を掘って、出来ているシェルターを入れるだけらしい。
ガイドの谷沢さん曰く、かつては庭にシェルターを作っていたが、庭の景観が良くないので、家の中にシェルターを作るケースが増えてきたが、そのシェルターの上に家が全壊し出られなくなったり、火災が発生したことなどがあり、家の中のシェルターは敬遠され始めているらしい。料金は日本円で20~30万円程度のようだ。
その後、コンクリートで造った病院が破壊されている、と言うのでMEDICAL OFFICE BUILDINGに向う。近くに行くと確かに破壊されているが、軽量鉄骨にALC板を張り付けたものだ。患者は中央のカフェテリアに集まり、難を逃れたとのことだが、この強度ではひとたまりもないだろう。隣にあったボウリング場も無残な姿を見せている。こちらは重量鉄骨と軽量鉄骨の組み合わせといった感じ。骨組みがむき出しで原型を留めていない。
谷沢さん曰く、こちらの人間はシェルターを造る程度で、これといって家に工夫はしていないと言う。家を建てる時の台風に対する規則も規定もない。発生時には大きな建物には入るな、小さな建物のトイレなどの狭いところに入れ、あるいは、お風呂の中に布団を持って入り、上から蓋をして過ぎ行くのを耐えろ!と言われているらしい。実際、お風呂に避難し、竜巻が通過後布団をはぐると、家がなく空が見えたということは何人もが経験しているようだ。
再びMoore地区に戻り、インタビュー相手を捜すが、ボランティアばかりで所有者がいない。あるバージニア州から来たというボランティア女性は、わざわざ日本から来たということに感激をしてくれ、握手を求められた。どの地にも心優しい人はいる。
諦め掛けていた時に車が止まったので、もしやと思い声を掛けて見た。
全壊ではないが、屋根の一部や窓が壊れた住宅の持ち主で、『今から教会に行かないといけないのでメールで質問に答えてあげるよ』という返事であったが、日本から竜巻と住宅の調査にきたと言ったところ、『小さな頃、父親の仕事の関係で横須賀に住んでいたんだ!銀座で迷子になったことがあったよ!』と嬉しそうに答えてくれた。名前はChuck Goff。ちょっと太めの気のいいアメリカ人という感じ。
<インタビューに答えてくれたChuck Goff氏と裏側から見たGoff氏の住宅>
急に話し始めてくれたので、急いでカメラを取りに車に戻った。途中から聞いた話では、本人は仕事で出かけて家には娘さんが1人。電話をかけても通じない……娘さんは隣の家の溝に逃げ込み助かった……とか、家の前にあったトラックのような重い車が30m近く飛ばされ、ひっくり返っている……などなど。
[視察を終えて]
アメリカの住宅メーカーは、対竜巻という点に関し、その対策は全く「皆無」といった状態である。視察中にコンクリート系の住宅を見ることは一度もなく、大半は木造の2×4。竜巻が発生した場合、竜巻の通過エリア外に逃げ出すか、地下シェルターに逃げ込むしか方法はない、というのが住人の意識のようだ。
しかし、住宅を襲う災害は国を問わず発生するが、災害対策住宅への意識は住宅メーカーも住人も低いようだ。災害の最も多い日本でも我が身が被災者になることを真剣に考えている人間は残念ながらまだ数は少ない。「住む人の命と財産を守るため」には、災害の怖さを知った人間による地道な啓蒙活動が、何よりも必要であることを痛感した。